【大國魂神社 くらやみ祭り】起源・由来・歴史年表・見どころなど

くらやみ祭り 大國魂神社 東京都の神社
くらやみ祭りの神輿渡御

くらやみ祭り、1000年の歴史がある暗闇の祭

くらやみ祭り(暗闇祭り)は、毎年4月30日から5月6日までの期間に行われる東京都府中市にある大國魂神社の例大祭です。

くらやみ祭りは、武蔵国の「国府祭」を起源としており、東京都の指定無形民俗文化財にも認定されています。

くらやみ祭りは、その名の通り、闇夜に行われることから「くらやみ祭」と呼ばれ、神聖な雰囲気の中で行われる神秘的な祭りが特徴です。

武蔵国(現在の東京・埼玉・神奈川の東部)の総社である大國魂神社のくらやみ祭りは、人々にとって重要な一大イベントとなっています。

くらやみ祭の始まった年、いつから始まった?

くらやみ祭りがいつから始まったのか、始まった年、については正確な記録がないため、はっきりとしたことは分かっていません。
しかし、武蔵国の「国府祭」を起源とする1000年以上の歴史があるといわれています。

文献で武蔵国で最初に確認できる総社祭の記録は、室町時代における南北朝時代頃(1336年~1392年)の「市場之祭文(いちばのさいもん)」に出て来る「武州六所大明神も五月祭の一を立たまふ」の文言であり、「六所の神様が五月祭礼の市をお立てになる」と神前で唱えられていたことです。

武州六所大明神は武蔵国総社の大國魂神社のことであり、総社・六所宮の権威のもとで市(マーケット)が設営され、武蔵国を代表する祭礼「五月会」が行われていたとされており、この五月会が現在のくらやみ祭りの発祥だとされています。

くらやみ祭りの名前の由来

くらやみ祭という名前は、祭りの期間中に、提灯などの明かりを灯すものを一切使わないことに由来しています。

街の明かりを消した深夜の「暗闇」の中で行われていたことから、江戸時代以降に「くらやみ祭」と呼ばれるようになったと言われています。

くらやみ祭りの歴史年表

歴史のはじまりから江戸時代までの年表を載せています。
明治時代以降は後日、追加する予定。

西暦 和年号 事項 出典
1361 延文六年 「市場之祭文」に「武州六所大明神も五月祭の一を立たまふ」の記述 市場之祭文(武州文書)
1415 応永二十二年
1593 文禄二年 「武州祭」で流鏑馬が行われる
1649 慶安二年 「本町住人」が五月五日付で「六所大明神」に鏡を奉納 奉納鏡
1775 安永四年 「御由緒並社法定書」で五日夜大祭」の次第が掲載 大國魂神社文書
1797 寛政九年 「武埜八景」に「六所挿秧」が掲載 武埜八景
1818 文政元年 十方庵敬順(じっぽうあんけいじゅん)が「六所宮乃祭礼」を見学 遊歴雑記
1820 文政三年 小野神社の神輿が例大祭に参加(1959年:昭和34年まで続く) 大國魂神社文書
1822 文政五年 十方庵敬順が再び「六所明神の夜まつり」を見学 遊歴雑記
1823 文政六年 「武蔵名勝図会」に「五月五日夜乃神事」が掲載 武蔵名勝図会
1829 文政十二年 「武蔵総社略記」に祭礼次第が掲載 武蔵総社略記
1836 天保七年 「江戸名所図会」巻三に「六所宮祭礼」が記載 江戸名所図会
1863 文久三年 スイス外交官アンベールが「六所宮祭礼」を見学 LE JAPON ILLUSTRE
1864 元治元年 「武蔵総社御神事式」に祭礼次第が掲載 武蔵総社御神事式
1867 慶応三年 「絵本江戸土産」十一編に「六所宮祭礼」が掲載 絵本江戸土産
1868 慶応四年 「武蔵総社誌」に祭礼次第が掲載 武蔵総社誌

なぜ「くらやみ(暗闇)」の中で行われるのか?

くらやみ祭りが夜に行われる理由には、古くからの神事における深い意味が込められています。

神聖な儀式としての暗闇
神聖な御霊が神社から神輿に移り御旅所に渡御するのは、人目に触れることなく暗闇で行われるべきという神事の伝統がそのまま現代まで引き継がれているためです。

また、古くは、貴人の姿は人前にさらすことがタブーとされていたため、夜闇に紛れて神輿が移動することで、その慣習を守っていたという説もあります。

神聖な御霊を人目に晒さないために暗闇で行われてきたことの方が有力な説だと考えられます。

魔除けのため
暗闇には魔物が潜むと考えられていたため、夜に行うことで魔除けの意味合いもあったと考えられます。

くらやみ祭り、どんな祭りで何をするの

くらやみ祭りは毎年4月30日~5月6日まで7日間も続く例大祭で、祭事の数が非常に多いのが特徴です、ざっと30種類の祭事が執り行われます。

くらやみ祭りの行事スケジュール

神社拝殿・本殿は大國魂神社の拝殿と本殿のことです。

日付 開始時間 場所 行事
4月30日 13:00 品川 品川海上禊祓式(潮汲み・お浜降り)
5月1日 9:00 神社拝殿・本殿 月例祭・祈晴祭
5月2日 19:30 神社拝殿・本殿 御鏡磨式
5月3日 18:00
20:00
境内・参道・街道 囃子の競演
競馬式
5月4日 9:00
12:00
12:30
17:00
18:00
神社拝殿・本殿
境内・参道・街道
境内・参道・街道
境内・参道・街道
境内・参道・街道
御綱祭
万灯大会
子供神輿渡御
太鼓の饗宴
山車行列
5月5日 10:00
15:30
17:00
神社拝殿・本殿 例大祭
動座祭
御霊遷の儀
5月5日 12:30
14:00
15:30
境内・参道・街道 道清めの儀
太鼓送り込み
宮乃咩神社奉幣
御饌最速の儀
5月5日 18:00
20:30
21:15
21:30
22:10
22:30
神社拝殿・本殿
境内・参道・街道
御旅所
御旅所
境内・参道・街道
境内・参道・街道
神輿発御
坪宮神事
神輿御旅所着
御旅所神事
野口仮屋の儀
流鏑馬式
5月6日 4:00
~7:00
9:00
御旅所
神社拝殿・本殿
神社拝殿・本殿
神輿還御
神輿神社着
鎮座祭

くらやみ祭の見どころ

くらやみ祭の見どころは、歴史と伝統が感じられる数々の神事です。

品川(東京都品川区)まで出向く「潮汲み」で始まり、「御鏡磨式(みかがみすりしき)」「競馬式」などの由緒ある古式の神事の数々や、「山車行列」「万灯大会」などの賑わいの行事などで次第に盛り上がっていき、「神輿渡御」でクライマックスを迎えるという行事の流れは観る者の心を奪います。ぜひ、くらやみ祭りに足を運んでみてください。

4月30日:品川海上禊祓式(潮汲み・お浜降り)

潮汲み(潮盛り)という神職たちが品川の海に出て身を清める儀式から始まり、清められた潮水を神社に持ち帰り、例大祭の期間中の朝夕の潔斎の際にこの潮水を用います。潮汲み(潮盛)の儀式が、くらやみ祭の一連の行事の始まりとなります。

府中の祭りのためになぜ品川まで出向く必要があるのか、素朴な疑問です。

品川は鎌倉時代の古文書等に示されているように、東京湾内の代表的な湊でした。
国府のあった府中からすると川崎の湊までは多摩川で繋がっており、品川は海上交通の玄関口であったこと、玄関口の湊の水を清め、その清められた水が多摩川を経由して府中まで届くようにするために品川で塩盛りを行ってきたと考えられます。

5月1日:祈晴祭

祈晴祭は、大祭期間中の安全と、天候が良く晴れるように祈る祭典です。文字通り、「晴れるように祈る」という意味を持ちます。

祈晴祭が行われる理由は、農耕社会においては天候が豊作に直結するため、天候を司る神々に祈りを捧げることは重要な儀式でした。

また、 大祭期間中、天候が崩れると、神事が滞ったり、参拝客が来づらくなったりするため、晴天を祈る祈晴祭は非常に重要な儀式だといえます。

5月2日:御鏡磨式

「御鏡磨式」は、神輿に飾る8枚の鏡を磨き清める神事です。

神輿は神霊が宿る神体であり、その神体を飾る鏡を清めることで、神輿全体を清浄にすることを目的としています。

また、鏡は、古来より人々の心や姿を映し出すものと考えられてきました。鏡を磨くことで、神輿を担ぐ人々の心も清め、神事に臨むにふさわしい状態にするという意味合いがあります。

さらに、鏡には魔除けの効果があると信じられており、磨かれた鏡は邪気を払い、神輿を清める力があるとされています。

5月3日:囃子の競演・競馬式

囃子の競演は、大國魂神社に繋がっている「けやき並木」と呼ばれる並木道に10基の山車が並んで府中地区の囃子連が演奏を競い合うように演奏します。

お囃子の演奏だけでなく、白装束を着た狐の面を付けた者やおかめやひょっとこなどが踊る姿は観る者の心を和ませてくれます。

競馬式は、かつて武蔵国府において国司が駿馬を検閲していた様子を再現した神事です。

武蔵国府であった現在の府中市周辺は、良質な馬の産地であったことから、国司は、朝廷に献上する良馬を選定するために、馬場において馬の能力を審査していたのです。

この伝統が、大國魂神社の例大祭に受け継がれ、現在も「競馬式」として行われています。

5月4日:御綱祭・万燈大会など

御綱祭は、神輿に飾りの綱をかける神事で、神霊が神輿にお乗りになる準備が整ったことを示します。神輿に掛けられた綱は、神聖な力を持つとされ、神輿を清め、神霊を鎮める役割を果たすと考えられています。

萬燈大会は、昭和54年(1979年)から始まったイベントです。
地元の青年会が中心となり、手作りした高さ3メートルにも及ぶ大きな提灯(万灯)を披露するイベントです。それぞれの万灯のデザインは各町内会の創意工夫が凝らされており、万灯のデザインやテーマ、万灯を操る者の技と力強さを競い合います。

子供神輿連合渡御は、市内各町の子供神輿が一堂に会し、大國魂神社を目指して練り歩くイベントです。子供たちが神輿を担ぎ、地域全体の活気と一体感を生み出します。

太鼓の響宴とは、例大祭期間中に、日本最大級の大太鼓が神社の大鳥居前に集結し、力強い演奏を披露するイベントです。
太鼓の轟く音と、それを奏でる人々の力強い姿は、祭りの熱気を高め、参加者たちの心を揺さぶります。

山車行列は、豪華絢爛な山車が町中を練り歩き、活気あふれる様子は、見る人を圧倒します。
江戸時代に庶民が神輿の渡御に合わせて、自分たちの町内を飾り立て、神輿を迎えたことが始まりとされています。

5月5日:道清めの儀・神輿渡御など

「道清め」の神事は、神輿が通る道を清め、神聖な雰囲気を作り出す重要な儀式です。
神輿が通る道は、神聖な道とされ、その道を清めることで、神々を迎え入れる準備を整えます。

大國魂神社の道清めの方法は、神職が神輿の渡御ルートを清める塩を撒きながら巡ります。この塩には、清める力があると信じられており、邪気を払い、道を開くという意味が込められています。

太鼓の送り込みは、御先祓大太鼓をはじめ、各宮の大太鼓が町内から随神門内と拝殿前に運ばれます。約1時間の間、力強い音色が響き渡ります。

宮乃咩神社への奉幣は、境内にある摂社、宮乃咩神社にて奉幣の儀式が行われます。

御饌催促の儀は、細谷氏と浦野氏が神前に神饌を供え、調理を促す儀式が行われます。

動座祭は、御霊を御本殿から神輿に移すことを神前に報告する祭典です。(一般非公開)

威儀物の授与は、神輿の露祓いの意味を込めて、奉持する刀や弓を渡す儀式が行われます。(一般非公開)

御霊遷の儀は、本殿から各神輿に御霊を移す神事が行われます。(一般非公開)

神輿渡御は、くらやみ祭のメインイベントです。
花火の合図と共に6張りの大太鼓が打ち鳴らされ、祭りのハイライトである「おいで」と呼ばれる神輿渡御が行われます。8基の神輿は白丁を身にまとった元気な担ぎ手と大太鼓に導かれ、御旅所へと向かいます。

神輿渡御が御旅所へと向かうルートは以下のとおりです。

くらやみ祭り 神輿渡御 ルート

くらやみ祭り 神輿渡御のルート

坪宮神事は、境外末社坪宮にて奉幣の儀式を執り行うことをお知らせする神事です。

野口仮屋の儀は、大國魂大神がこの地に降臨した際、野口家に宿を求めたという伝説に基づく神事です。宮司と神職は野口仮屋へ向かい、そこで野口氏のもてなしを受ける儀式が行われます。

やぶさめ式では、宮司は野口仮屋から神馬に乗り、御旅所へ戻ります。その北門前で馬上から弓を引き、的を射る神事です(鎌倉の鶴岡八幡宮などで行われる流鏑馬とは異なる趣があります)。やぶさめの儀では矢が必ず的に当たるため、当社では「やぶさめあたり矢」として御神矢を授与しています。

5月6日:神輿還御(おかえり)・神輿神社着・鎮座祭

神輿還御とは、神輿が街中を巡り、再び神社に戻ってくることを指します。
神輿は神様が乗り移ると考えられており、神輿が神社に戻ることは、神様がご神体に戻られることを意味します。

御旅所から神輿が出発し、神社に向かって出発します。
神輿は、神輿が渡御したルートを逆に戻りながら、大國魂神社の本殿に戻ります。

鎮座祭は、神輿が神社に戻り、神体を本殿に安置する儀式です。神様を神座に納め、祭りの成功を神様に感謝し、来年の無事と繁栄を祈願します。

まとめ

深い歴史と伝統が息づくくらやみ祭りは、ただのお祭りという枠を超え、人々の心を揺さぶる神秘的な神事です。

神輿が夜空を切る様、太鼓の音が響き渡る様子、そして地域の人々の熱気は、忘れられない思い出となるはずです。

ぜひ、みなさんも「くらやみ祭り」に参加して、その感動を味わってみてください。

本記事は以下の書籍も参考にして書きました。くらやみ祭りを知るうえで貴重な一冊についても記事にまとめてみました、ぜひお読みください。

【書籍紹介】武蔵府中 くらやみ祭り 国府祭から都市祭礼へ
武蔵国総社の大國魂神社の例大祭である「くらやみ祭り」をとにかくわかりやすく解説している一冊。中世~近世~明治以降の各時代における例大祭とくらやみ祭りを詳しく説明、この一冊でくらやみ祭りの全貌を理解できる貴重な一冊。

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