日本神話の中でも屈指の英雄として語り継がれる「日本武尊(やまとたけるのみこと)」。
その波乱に満ちた生涯は、古事記・日本書紀に描かれ、現代でも多くの神社で祀られています。
本記事では、日本武尊の読み方やご利益、神話エピソード、祀られている神社、そして旧千円札のモデルになった逸話まで、わかりやすく解説します。
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読み方と別名
正式名:日本武尊(やまとたけるのみこと)
別名:
- 倭建命(やまとたけるのみこと)
- 小碓命(おうすのみこと)
- 倭男具那命(やまとおぐなのみこと)など
古事記では「倭建命」、日本書紀では「日本武尊」と表記されることが多く、神社によって呼び方が異なります。
日本武尊のご利益・御神徳
日本武尊は東西の平定を成し遂げた英雄神。そのため、以下のようなご利益があるとされています。
- 勝負運・武運長久
- 国土安泰・厄除け
- 出世開運・仕事運向上
- 交通安全・商売繁盛
戦いに勝ち続けた神様として、勝負事や人生の転機にご利益を求める参拝者が多く訪れます。
日本武尊、何をした?
日本武尊は何をしたのか人なのか、古事記と日本書記の両方に記述されている有名なエピソードを紹介します。
少年時代の悲劇と熊襲討伐
父・景行天皇の命令で兄を殺してしまった小碓命(おうすのみこと、後の日本武尊)は、九州の熊襲兄弟討伐を命じられます。叔母・倭比売命から天照大神の加護を受けた衣装を授かり、女装して宴に潜入。油断した熊襲兄弟を討ち取り、「ヤマトタケル(=大和の勇者)」の名を授かります。
東国遠征と草薙剣の伝説

草薙剣を手にする日本武尊
東国の地は、まだ朝廷の支配が及ばぬ荒ぶる勢力がひしめいていました。
景行天皇の命を受けた日本武尊は、命がけの東国遠征に向かいました。旅の途中、叔母・倭比売命から授かった袋の中には、天叢雲剣という後の草薙剣が秘められていました。
日本武尊は、敵軍に囲まれた広大な草原で、火攻めに遭います。
四方から炎が迫り、逃げ場のない状況の中、日本武尊は袋を開き、神剣を抜きました。
その瞬間、剣が風を呼び、草を薙ぎ払って炎を切り裂き、さらに火打石で迎え火を放ち、風向きを操るように炎が敵陣を焼き尽くしました。この奇跡のような逆転劇により、日本武尊は見事に勝利を収めたのです。敵に囲まれた場所は「焼津(やいづ)」と呼ばれるようになり、現在の静岡県焼津市の名前の起源となりました。
なお、草薙剣は、スサノオがヤマタノオロチを退治した際に得た剣であり、天照大神に献上された神器です。草薙剣は、日本武尊の命を守り、東国を平定する力となり、日本武尊を誰もが知る英雄にしたと言えます。
妻・弟橘媛との悲恋
海を渡る途中、嵐に遭遇したヤマトタケルを救うため、妻・弟橘媛(おとたちばなひめ)が自ら海に身を投じて神を鎮めます。彼女の犠牲によって船は無事に渡ることができました。この純愛と悲劇は、後世に語り継がれる名場面です。
最期と白鳥伝説
伊吹山の神を討伐する際、草薙剣を置いて出陣したヤマトタケルは神の怒りに触れ、雹に打たれて病に倒れます。帰還途中の能煩野(三重県)で亡くなり、その魂は白鳥となって空へ飛び立ったと伝えられています。白鳥が降り立った地が大阪府堺市の「大鳥神社」とされ、白鳥伝説として今も語られています。
日本武尊を祀る主な神社
- 熱田神宮(愛知県名古屋市)
草薙剣を御神体として祀る神社
日本武尊の東国遠征後、妻・宮簀媛に剣を預けた地 - 大鳥神社(大阪府堺市)
白鳥伝説の地
全国の大鳥神社の総本社 - 建部大社(滋賀県大津市)
主祭神が日本武尊
近江国一宮として格式高い神社
旧千円札の肖像にも!

旧千円紙幣にも描かれた日本武尊
実は日本武尊は、昭和20年(1945年)に発行された旧千円札の肖像にも採用されていました。この日本初の千円札はわずか810万枚しか発行されず、昭和20年8月から半年間しか流通しなかった幻の千円札です。力強く、凛々しい日本武尊の姿が描かれたその肖像は、当時の日本人にとって「理想の英雄像」として親しまれていました。左側に描かれている神社は、日本武尊を主祭神として祀っている建部大社です。
この記事のまとめ
日本武尊は、武力と知略を兼ね備えた英雄でありながら、愛する人を失い、自らも命を落とすという悲劇の神でもあります。その物語は、勝利の象徴であると同時に、人間的な苦悩や愛情を描いた深い神話です。神社参拝の際は、ぜひその背景にある物語にも思いを馳せてみてください。