【小野神社】武蔵国一之宮の見どころ・ご利益・御朱印など

武蔵国一之宮 小野神社の拝殿 東京都の神社
武蔵国一之宮 小野神社の拝殿

小野神社(おのじんじゃ)は、東京都多摩市一の宮にある神社です。

小野神社は、武蔵国一之宮として古くから崇敬を集めてきた神社です。この記事では、由緒・歴史や見どころなどを詳しく解説します。

小野神社の由緒・歴史など

武蔵一之宮の小野神社は、武蔵府中にある武蔵国の総社「大國魂神社(六所宮)」に合祀されている武蔵国内の六神社の一つです。

武蔵国には一之宮から六之宮までの社格の六神社がありますが、小野神社はその第一位たる一之宮として人々の篤い信仰を集めてきました。大國魂神社(六所宮)から非常に近いこともあり、大國魂神社と合わせて小野神社を訪れる参拝者が多いです。

小野神社の創建は、安寧天皇18年(前549年~前511年)と伝えられており、その歴史は約2550年前まで遡ることができます。
※安寧天皇は日本の第3代天皇。

国造の兄武日命が創建したとされ、武蔵国開拓の祖神である天下春命(あめのしたはるのみこと)や瀬織津比咩命(せおりつひめのみこと)をご祭神として祀っています。

平安時代に「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に記載されて朝廷から正式に認められた神社となりました。朝廷から数々の奉幣を受け、元慶8年(884年)7月には正五位上の神階を授かるなど、その地位はますます高まっていきました。
※正五位(しょうごい)とは、平安時代の官職や位階における「官位相当制」のことです、詳細はこちら

平安末期から鎌倉時代、小野神社は武蔵七党の横山党・西党の影響下に入り、武士たちからも信仰を集めるようになりました。後北条氏や太田道灌なども小野神社を篤く崇敬し、社殿の再建や寄進が行われ、神社はますます発展しました。
※武蔵七党とは、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、武蔵国を中心に勢力を持っていた武士団の総称、詳細はこちら

江戸時代では「一宮大明神」と称され、江戸幕府からも朱印地を寄進されるなど、その勢いは衰えることなく続きました。
※朱印地とは、江戸時代に将軍の朱印状によって領有が認められたり、年貢などの諸役が免除されたりした寺社領や所持地を指します。

その後は、明治政府の政策により、小規模な神社が大きな神社に合祀されることが行われ、小野神社も周辺の小さな神社を合祀し、地域の信仰の中心としての地位を確立して現代に至っています。

制札(せいさつ)

小野神社の制札

制札は神社の案内板のようなもの

小野神社では随神門の左側に制札(せいさつ)が置かれています。
※制札とは、神社の場合、神社の由緒、ご祭神やお祭りなどの情報が掲載されている掲示板のようなものです。

ご祭神・末社

延喜式内 武蔵国一之宮 小野神社

制札にご祭神、末社、例祭に関する情報がある

小野神社の制札には「延喜式内 武蔵国一之宮 小野神社」と書かれており、ご祭神、末社、例祭に関する情報が掲載されています。

ご祭神

制札には8柱の神々がご祭神として記載されていますが、小野神社の公式サイトでは、ご祭神は以下の2柱とされています。

  • 天ノ下春命
  • 瀬織津姫命

天ノ下春命(アメノシタハルノミコト)
武蔵国を開拓した祖神(ソシン)として、武蔵国一之宮である小野神社に祀られています。開拓の神として多くの神社でも祀られています。
天ノ下春命は武蔵国を開拓し、人々に農耕を教えたとされています。そのため、五穀豊穣の神として信仰を集め、特に農業に携わる人々から篤く崇敬されています。

瀬織津姫命(セオリツヒメノミコト)
水の神様であり、祓いの神様として知られています。特に大祓詞(おおはらえのことば)の中で人々の罪や穢れを川に流し、海に流し、そして宇宙に還すという重要な役割を担っています。
現代においても、瀬織津姫命は、水や自然を大切にする人々から信仰を集め、また、心身の浄化や再生を願う人々からも注目されています。
※大祓詞(おおはらえのことば):神社の祭祀で唱えられる祝詞で、一年に一度、歳末の大祓の際に読まれます。

瀬織津姫命については以下の末社の後で詳しく紹介しています。

末社

制札では御祭神の下に小さな文字で末社が記載されています。
小野神社の公式ホームページにも末社が記載されていますが、境内にあるのは稲荷神社だけであり、その他の末社は一つも見当たりませんでした。
したがって、以下の末社は本殿に合祀されていると考えられます。

  • 伊勢神宮内宮
  • 伊勢神宮外宮
  • 鹿島神社
  • 三嶋神社
  • 巌嶋神社
  • 安津神社
  • 子安神社
  • 方便神社
  • 日代神社
  • 愛宕神社
  • 八坂神社
  • 稲荷神社
  • 秋葉神社
  • 堰宮神社

※末社は、本殿を守護し、末社がある地域人々の生活を見守る役割があり、それぞれの末社には特定のご利益があります。人々は願いに応じてそれぞれの末社に参拝します。

神秘的な「瀬織津姫命」

瀬織津姫命は、古事記や日本書紀には直接的な記述が見られないものの、大祓詞、ホツマツタヱ、そして各地の神社伝承において、重要な役割を担う神として登場します。

瀬織津姫命と大祓詞(おおはらえのことば)、ホツマツタヱとの関係、各地での瀬織津姫命に関する神社伝承を知ることで、瀬織津姫命が水と浄化を司る神秘的かつ重要な神様であることが理解できます。

大祓詞における瀬織津姫命

大祓詞は、古くから伝わる祓いの言葉で、一年に二度、人々の罪や穢れを祓い清めるために奏上されます。瀬織津姫命はこの大祓詞において、祓戸四神の一柱として登場し、川に坐してすべての罪を海に流し去る存在として描かれています。

瀬織津姫命は祓戸四神の一柱
瀬織津姫命と、速開玉饒速日尊、大歳神、宇遅能売命の四神は、人々の罪や穢れを祓い清める役割を担っており、瀬織津姫命は特に水と深く結びついた存在として位置づけられています。

瀬織津姫命は水と浄化のシンボル
水は古来より清浄なものとされ、瀬織津姫命は水を通して人々の穢れを洗い流し、心身を清める力を持つとされています。

ホツマツタヱにおける瀬織津姫命

ホツマツタヱは、古事記や日本書紀よりも古い時代に書かれたと主張されている、その真偽について議論が続いている古文書ですが、以下のような説が存在しているようです。

天照大神との妻であった説
ホツマツタヱでは、天照大神は女神ではなく男神として書かれており、瀬織津姫命が天照大神の皇后として国土を浄化する重要な役割を担っていたとする説が記載されています。

また、瀬織津姫命の「祓の力」があまりにも強力すぎたため古事記や日本書紀から消されて封印されたという説も存在します。

神社伝承と瀬織津姫命

各地の神社には、瀬織津姫命に関する様々な伝承が残されています。

水神としての信仰
多くの神社で、瀬織津姫命は水の神として祀られています。これは、瀬織津姫命が水を通して穢れを祓い清める力を持つという強い信仰がある証となっています。

龍神との結びつき
瀬織津姫命は、龍神と結びつけられることも多く、龍の姿で現れるとされる伝承も存在します。
龍は水の神であり、雨を司る神としても信仰されてきたため、瀬織津姫命との結びつきは自然な流れと言えるでしょう。

地域との関わり
各地の神社の伝承には、瀬織津姫命がその地域に現れ、人々を救ったという物語が多く見られます。これは、瀬織津姫命が人々の生活に深く関わり、信仰の対象となっていたことを示しています。

ご利益

小野神社は、天ノ下春命(アメノシタハルノミコト)と瀬織津姫命(セオリツヒメノミコト)を主祭神としていることから厄払い、悪縁切りにご利益があるとされています。
また、制札には大己貴命(大国主命のこと)や倉稲魂命(稲倉魂大神のこと)など、他の神々もご祭神とされており、さまざまなご利益があるといわれています。

  • 厄除祓い
  • 悪縁切
  • 縁結び
  • 夫婦和合
  • 子授
  • 五穀豊穣
  • 商売繁盛
  • 病気平癒 など

小野神社の見どころ

鳥居、随神門、拝殿・本殿などをご紹介します。

大鳥居

一之宮 小野神社

武蔵国一之宮 小野神社

社号碑「小野神社」の上に「武蔵一之宮」の文字が刻まれており、武蔵国における第一位の社格を有することを示しています。

鳥居は笠木(鳥居の一番上の部分)の端が斜めになっているので「八幡鳥居」というタイプです。

小野神社の随神門

小野神社の随神門

小野神社の随神門

大鳥居を通り過ぎると、阿形(あぎょう、右側)・吽形(うんぎょう、左側)の狛犬が出迎えてくれます。

小野神社 随神門の狛犬

随神門の狛犬の体形はふっくらしている

随神門の木彫

随神門の木彫

随神門の扁額と龍の木彫

中央の扁額は「随神門」と書かれており、上部と下部には龍の木彫が施されています。

上部の龍は、立派な爪の両手を左右に大きく開いています。一方、下部の龍は、長い胴体が右側から左側に大きく曲がりながら伸びています。

小野神社の随神門の雷神

随神門の雷神

随神門の左右の側面には、雷神と風神の木彫が施されています。

小野神社の随神門の風神

随神門の風神

神社に祀られる風神と雷神は、風雨を司る神として、風水害を除け、伽藍を鎮護するために祀られています。

小野神社の近くを流れる多摩川の風水害から守り五穀豊穣を祈願するために風神・雷神の木彫が施されていると考えられます。

稲荷神社

小野神社にある稲荷神社

小野神社にある稲荷神社

前述の制札のご祭神と末社の中に倉稲魂命(うかのみたまのかみ)と稲荷神社が記載されており、稲荷神社の末社が祀られています。

稲荷神社は、食物を司る神である倉稲魂命(うかのみたまのかみ)を祀る神社であり、五穀豊穣のご利益があります。

小野神社の拝殿

小野神社の拝殿

参道の先にある朱塗りの拝殿

現在の拝殿は、昭和2年に再建されたものです。
屋根は入母屋・銅板葺、向拝には棒状のしめ縄が付いています。

向拝と賽銭箱には菊花紋章が付いています。
拝殿をはじめ、本殿、鳥居や隋神門など、境内の様々な場所に菊花紋章が取り付けられています。これは、後北条氏や太田道灌などの崇敬を受けて栄えた歴史を物語っています。

小野神社の拝殿の扁額

朱色が反射して文字も赤みを帯びている

拝殿の扁額には「武蔵国一之宮 小野神社」と書かれており、文字自体も朱色、赤みがかっているように見えます。

 

小野神社 拝殿の狛犬

拝殿の狛犬は随神門の狛犬よりもスリム

拝殿の狛犬の目は随神門よりも大きく見開いており、たてがみは随神門よりも控えめに見えます。

小野神社の本殿

小野神社の拝殿と本殿

小野神社の拝殿(右)と本殿(左)は距離があります

本殿には、武蔵国、多摩川流域の開拓神である「天下春命」と「瀬織津姫命」を祀っています。

本殿は多摩川氾濫による遷座を何度も繰り返しており、現存する本殿は、過去の災害や戦火を乗り越えて再建された比較的新しいものです。

建築様式・構造は、三間社流造です。これは、正面に4本の柱、柱間の間口が3間ある造りで、左右対称のシンプルな構造が特徴です。

小野神社の本殿は朱色に塗られており、周囲を瑞垣(みずがき)で囲まれ、正面に三つの扉を持つ構造になっています。

小野神社の本殿

本殿は正面の柱が4本(間隔が3間)の三間社流造

本殿は左右非対称な「流造」と呼ばれる建築様式で建てられています。これは、神様が自由に天空を飛び回れるようにとの願いが込められているといわれています。

屋根は、耐久性が高く美しい銅板で覆われている「銅板葺」です。

お祭り・年中行事

  • 元旦祭: 1月1日
  • 節分祭: 2月節分の日
  • 初午祭: 2月初午の日
  • 祈年祭: 2月の第2日曜日
  • 末社祭: 4月の第1日曜日
  • 六所宮神幸祭: 5月5日
  • 例大祭: 9月の第2日曜日
  • 新嘗祭: 11月の第2日曜日
  • 除夜祭: 12月31日

社務所

小野神社の社務所

大きな一般住宅のような社務所

小野神社の社務所

授与品が所狭しと置かれています

【社務所窓口常駐日時】
月、木、金、土、日、祝日
9時30分~16時30分迄
※火、水は、一日と祝日及び御祈祷がある日の時間帯を除き、不在となります。
御祈祷のご予約、お問い合わせは社務所対応日時に連絡してください。

御朱印・お守りなど

小野神社の御朱印

瀬織津比咩神と龍が仲睦まじい様子の御朱印

今回は瀬織津比咩神の御朱印を拝受しました。

小野神社 アクセス情報

住所:東京都多摩市一の宮1-18-8
電話番号:042-338-1151
ファックス:042-400-0333
アクセス:
【電車】京王線聖蹟桜ヶ丘駅より徒歩6分
【自動車】中央高速 国立府中インターより約10分

参拝者専用駐車場

小野神社の駐車場

大きな木々がある駐車場

参拝者専用駐車場があります、収容台数は約15台です。

小野神社 周辺の神社

  • 大國魂神社
    東京都府中市宮町3-1
  • 高幡不動尊金剛寺
    東京都日野市高幡733
  • 諏訪神社
    東京都多摩市諏訪1丁目8−3
  • 関戸熊野神社
    東京都多摩市関戸5-35-5
  • 八坂神社
    東京都多摩市連光寺6丁目19
  • 唐木田稲荷神社
    東京都多摩市唐木田1丁目13−4

小野神社 紹介まとめ

小野神社は武蔵国一之宮として、創建から約2550年の歴史を有する古社であり、大國魂神社(六所宮)に合祀された武蔵国の六神社の一つです。

小野神社は大國魂神社から近いので、小野神社を参拝したらぜひ大國魂神社にも参拝してみてはいかがでしょうか。もしくは、大國魂神社を参拝したら小野神社にも足を運んでみてください。

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