【諏訪神社】由緒・祭り・御朱印・お守り・ご利益・例大祭や見どころを徹底解説

立川 諏訪神社 拝殿 東京都の神社
三社一殿として諏訪、八幡神社、稲荷神社が祀られている

東京都立川市に鎮座する諏訪神社をご存知ですか?全国の諏訪信仰の総本社である信州・諏訪大社より平安時代初期(811年)に分霊された、1200年を超える歴史を持つ古社です。

地元では親愛を込めて「おすわさま」と呼ばれ、立川周辺地域の総鎮守として篤い信仰を集めてきました。その由緒の深さ、歴史の古さから、東京都内にある諏訪神社の中でも極めて規模が大きく、有数の格式を誇る神社です。

この記事では、千二百年の伝統が息づく諏訪神社の深い歴史、勇壮な例大祭、人気の御朱印、そして授かるご利益に至るまで、その魅力を徹底的にご紹介します。立川の歴史と信仰の中心地である「おすわさま」の魅力に迫りましょう。

千二百年の伝統が息づく由緒・歴史

立川の総鎮守である諏訪神社は、平安時代初期に創建された、千二百年を超える深い歴史を持つ古社です。その歴史の古さ、そして地域の総鎮守としての格式は、東京都内の諏訪神社の中でも特に際立っています。度重なる災禍を乗り越え、その都度再建されてきた沿革は、地域の人々の強い信仰心を示すものです。

平安時代:信州からの分霊・創建

諏訪神社の由緒は、平安時代初期に遡ります。

  • 創建: 弘仁2年(811年)7月27日
    信濃国(現在の長野県)の諏訪大社(総本社)より御祭神である建御名方神(たけみなかたのかみ)を分霊(勧請)し、現在の立川市柴崎町に鎮祭されました。
  • 創建から1200年を超える歴史は、東京都内でも最古級であり、立川諏訪神社が有する由緒の深さを示すものです。古くは農耕の守護神、そして地域住民の生活の根源神として崇敬を集めました。

天正14年(1586年)の武蔵野野火による大火で、古い由緒書や古文書類が全て焼失してしまい、誰がどのような目的で勧請(分霊)したのかという記録はなく詳細は不明です。
しかし、創建された平安時代初期の背景から、当時の立河郷で勢力を持っていた貴族や有力者が、地域の総鎮守として信州の諏訪大社から分霊したと推察されます。特にご祭神の建御名方神(たけみなかたのかみ)が農耕の守護神でもあることから、豊かな実りを願って祀られたと考えられます。

戦国時代・江戸時代:災禍と再建・遷座

長い歴史の中で、諏訪神社は度重なる災禍に見舞われました。

  • 最初の焼失
    天正14年(1586年)、野火により社殿などが全焼。
  • 再建と遷座
    寛文10年(1670年)に社地を現在の場所に移し、本殿が再建されました。この時再建された本殿は、その後約320年間、立川市内最古の木造建築物として残されました。

平成の災禍と現代の復興

諏訪神社への信仰は絶えることなく続いてきましたが、平成期に再び大きな試練に見舞われます。

  • 二度目の焼失
    平成6年(1994年)、不審火により、市の有形文化財に指定されていた本殿・拝殿を含む社殿が再び焼失するという大災禍に見舞われました。
  • 平成の再建
    氏子の熱意ある尽力により、再建事業が進められ、平成14年(2002年)に現在の社殿が完成し、立川の総鎮守として現代へと伝統が継承されています。

諏訪神社のご利益

三柱の神様のご利益

立川諏訪神社は、本殿が覆屋(おおいや)に収められた「三社一殿」という形式をとっており、主祭神の諏訪大神=建御名方神(たけみなかたのかみ)に八幡大神稲荷大神を加えた三柱の神様が祀られています。

主祭神:建御名方神のご利益

勝負運・必勝祈願、商売繁盛・開運、子授かり・安産

建御名方神(たけみなかたのかみ)は、古事記において勇猛な武神として描かれていることに由来し、試験やスポーツなどあらゆる勝負ごとにおける勝利や必勝にご利益があるとされます。
また、古来より風と水の神として農耕や狩猟、開拓を司ってきたため、仕事の成功、事業の発展といった商売繁盛や開運の御神徳も授かれるといわれています。
さらに、生命の源である水を司る側面から、子孫繁栄や安産といったご利益もあると信仰されています。

誉田別命のご利益(八幡神社)

出世開運・武運長久、学業成就・交通安全

八幡大神である誉田別命(ほんだわけのかみ)は武勇に秀でた第15代応神天皇のことであり、武勇の神、弓矢の神として古来より武士の守護神として篤い信仰を集めてきました。その力強い御神徳から仕事などの人生における目標達成や地位向上といった出世開運のご利益があるとされます。また、国家鎮護の神として学業成就や旅の安全、交通安全といったご利益も授かることができます。

宇迦之御魂神のご利益(稲荷神社)

五穀豊穣・商売繁盛、家内安全

稲荷神として知られる宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)は、食物・穀物を司る神様です。特に江戸時代以降、人々の生活に密着した神様として信仰が広がり、五穀豊穣の神徳は現代では商売繁盛、つまり豊かさや利益をもたらす力として信仰されています。また、生命を育む食物の神であることから、家族の生活を守る家内安全のご利益も授かることができます。

諏訪神社の祭り・年間行事

日付 祭典・行事名 備考
毎月 1日 月次祭(つきなみさい) 毎月執行
1月 1日 歳旦祭(さいたんさい)
3日 新年交通安全祈願祭
15日 成人祭/ドンドン焼き
2月 3日 節分祭(豆まき)
午の日 初午祭/二の午祭 稲荷神社
11日 建国祭
4月 10日 末社金刀比羅神社祭
17日 春祭り(祈年祭)
5月 上申日 末社日吉神社祭
7月 25日 夏祭り(天王祭)
8月 28日直近の金曜日 例大祭 宵宮祭(よいみやさい)
28日直近の土曜日 例大祭 諏訪神社
28日直近の日曜日 例大祭 八幡神社
9月 15日 秋祭り 奉納芸能大会
11月 1日 菊花展 15日まで
酉の日 一の酉/二の酉/三の酉 大鷲神社
15日 七五三祭
27日 新嘗祭(にいなめさい)
12月 31日 除夜祭(じょやさい)

諏訪神社の例大祭

立川 諏訪神社 例大祭

盛大な神輿の宮出しの風景

立川諏訪神社の例大祭は、8月28日直近の金・土・日曜日の3日間にわたり開催され、「立川を代表するお祭り」として年間で最も大規模かつ賑やかな祭典です。
神輿の渡御や山車の巡行、多数の露店などに、立川周辺の多くの住民や見物人が参加し、立川の全体が活気と熱気に包まれます。祭りの準備や神輿の担ぎ手、山車の運行には古くから氏子地域が深く関わるため、住民同士の結束や地域コミュニティの維持に不可欠な行事となっています。金曜日の宵宮祭から日曜日の八幡神社祭まで、週末を利用して儀式と地域行事が一体となって進められ、地域の総鎮守である諏訪神社が、地域の安全と繁栄を祈る中心的な儀式として、住民の精神的な柱となっています。

諏訪神社の御朱印

立川 諏訪神社 御朱印

武蔵国の異称「武州」を用いている御朱印

参拝後に通常の書置きの御朱印を拝受いたしました、初穂料は300円。
「武州立川鎮座」とあり、武蔵国の異称である「武州」を使用して武蔵国の立川に鎮座していることを表しています。

御朱印帳を持参すれば手書きの直書き御朱印も頂けます。なお、月替わりや季節などの限定御朱印は頒布されていないようです。

諏訪神社のお守り

立川 諏訪神社 御守

種類も豊富、目的に相応しい御守が選べる

御守のラインナップは豊富で、初穂料は500円~1000円です。
勝守(ステッカー・ストライプ)、児童通学守、夢叶守、交通安全御守、学業合格御守、こども守、根付御守、安産御守、厄除御守、病気平癒御守、錦御守、仕事守、災難除け守、金紙御守、目の御守、交通安全キーホルダー御守、絵馬がが頒布されています。お札は1000円から2000円。

諏訪神社の見どころ

立川 諏訪神社では多くの見どころが点在しています。表参道入口から拝殿までの見どころを順を追って紹介します。

表参道入口

立川 諏訪神社 表参道

表参道入口の社号標と鳥居

表参道の入り口の社号標、鳥居は少し先に進んだところに建っています。この社号標から神門(随神門)までは約100メートルあります。
表参道だけでなく、東参道、北参道と公園参道からも境内に入ることができます。

表参道の鳥居

立川 諏訪神社 鳥居

表参道に佇む鳥居

この鳥居は、昭和38年(1963年)8月に立川市柴崎町の小室勝男氏が奉納したものです。

殉国慰霊碑

立川 諏訪神社 殉国慰霊碑

日中戦争から太平洋戦争までの立川市出身の戦没者を慰霊

立川諏訪神社の殉国慰霊碑は、昭和38年(1963年)8月15日に、日中戦争から太平洋戦争にかけて国のために亡くなった立川市出身の戦没者を慰霊するため建立されました。

駐車場

立川 諏訪神社 駐車場

表参道の右手に広がる駐車場

表参道の中盤から神門(随神門)までの右側には広い駐車場があります。

神門(随神門)と手水舎

立川 諏訪神社 手水舎

神門の手前にある手水舎

手水舎は神域の入り口である神門の手前に置かれています。長い参道がある場合、このように神域に入る直前に手水舎があることが多いです。

立川 諏訪神社 神門 随神門

左右に随身像がある神門

正面から見た神門です。左右には、神域を守るための随身像が安置されており随身門とも呼ばれます。

立川 諏訪神社 神門 随神門

斜めから見た神門(随神門)

寄棟の屋根の上に切妻造りの屋根がある入母屋造りであることがわかります。

末社合祀社(四社合祀殿)

立川 諏訪神社 合祀社

四社が合祀されている境内社

左から疱瘡神社、日吉神社、金刀比羅神社、浅間神社が祀られています。

疱瘡神社(ほうそうじんじゃ)
疱瘡神社には、主に医薬の神である少彦名命(すくなひこなのみこと)が祀られています。そのご神徳は、かつて人々を苦しめた疫病を鎮める信仰に由来し、疫病退散、病気平癒、無病息災にご利益があります。

日吉神社(ひよしじんじゃ)
日吉神社の御祭神は、比叡山の神である大山咋神(おおやまくいのかみ)です。この神様は山王権現として信仰されており、方除け・厄除け、家内安全にご利益があります。

金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)
金刀比羅神社は、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)などを祀っています。古くから海上交通の守り神として知られ、航海安全や大漁満足にご利益があります。このほか、商売繁盛、五穀豊穣、医薬など、人々の生活全般に関わる幅広いご神徳を授けています。

浅間神社(せんげんじんじゃ)
浅間神社の御祭神は、富士山の神である木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやびめのみこと)という美しい女神です。燃える産屋で無事出産したという神話から、特に安産・子育て、縁結びにご利益があるとされます。また、火山の神として火難消除のご神徳もあります。

目の神様(境内末社)とアマビエ像

立川 諏訪神社 目の神様 アマビエ像

健康祈願のための目の神様とアマビエ像

目の神様(境内末社)

立川 諏訪神社 目の神様

小さな手水処もある目の神様

眼病平癒や視力回復にご利益があると信仰されており、眼の健康を願う参拝者が多く訪れます。かつてこの地に立っていた、もみの木に祈願すると眼病が癒えた、視力が回復したといった奇跡や霊験の地域伝承によって目の神様がうまれたとされています。

アマビエ像

立川 諏訪神社 アマビエ像

新型コロナウィルスにより全世界で多くの犠牲者が発生したため、疫病退散の願いを込めて令和3年(2021年)に寄贈されたアマビエ像があります。アマビエは、江戸時代後期に肥後国(現在の熊本県)の海に現れたとされる日本の妖怪(予言獣)で、疫病の流行を避けてくれる考えられた妖怪です。

神楽殿

立川 諏訪神社 神楽殿

祭典や行事の際に、神楽(かぐら)や舞、芸能を奉納するための建物です。屋根は入母屋造り(いりもやづくり)、中央には千鳥破風(ちどりはふ)が設けられています。柱や縁側(えんがわ)の欄干には鮮やかな朱色(丹塗り)が用いられ、コントラストが美しい緑色の屋根(銅板葺きなど)が印象的です。

社殿(三社一殿)

立川 諏訪神社 拝殿

中央が諏訪神社、左に八幡神社、右に稲荷神社

現在の社殿は、平成6年の火災で焼失した後に平成14年(2002年)に再建されたものです。この社殿の特徴は、主祭神の諏訪大神に加え、合祀されている八幡大神と稲荷大神の三社を一つの建物(覆屋)に収めた「三社一殿」という構造である点です。

立川 諏訪神社

中央の諏訪神社の扁額

真ん中の諏訪神社の扁額。

立川 諏訪神社 拝殿

左側の八幡神社の扁額

左側の八幡神社の拝殿と扁額。

立川 諏訪神社 拝殿

右側の稲荷神社の扁額

右側の八幡神社の拝殿と扁額。

立川 諏訪神社 拝殿

向拝の美しい鳳凰の彫刻

拝殿上部の向拝には美しい彫刻があります。平和と幸福を告げる瑞鳥・鳳凰(ほうおう)が、神聖な雲に乗って飛翔する姿が刻まれています。中央には神社の丸い神紋が彫られており、下部には「百花の王」として富貴や幸福を意味する牡丹(ぼたん)の文様が施されています。

立川 諏訪神社 社殿

左から拝殿、幣殿、石の間、本殿

立川諏訪神社の社殿は、拝殿から本殿までが連なる伝統的な権現造りです。一番左が、参拝者が神様を拝むための拝殿です。中央周辺の神様への捧げ物(幣帛)を置く幣殿(へいでん)と奥の石の間(通路)を挟んで、最も右側が本殿です。本殿は、三柱のご祭神が覆屋(おおいや)に収められている三社一殿となっています。

舊宮趾(創建地)

立川 諏訪神社 舊宮趾

創建の地である舊宮趾

舊宮趾(きゅうきゅうし)は、現在、本殿から道路を隔てて北側に位置する諏訪の森公園内にあります。ここは、弘仁2年(811年)7月27日に信濃国の諏訪大社から御祭神を勧請し、諏訪神社が最初に創建された発祥の地です。

立川 諏訪神社 舊宮趾

この石碑には、「弘仁弐年六月弐十七日 勧請信州諏訪大神」と創建当時の日付が刻まれており、1200年を超える神社の歴史を物語っています。

立川市錬成館

立川市錬成館

柔道場、剣道場、弓道場、相撲場などの武道場

立川市練成館は、昭和39年(1964年)4月に開設された立川市唯一の公立武道場です。諏訪神社が武神・建御名方神を祀っていることから、諏訪神社に隣接する形で、市民の体育向上と健全な精神の養成を目的とした柔道場、剣道場、弓道場、相撲場などを備えています。神社が地域の信仰だけでなく、武道振興という社会的な役割も担っていることを示しています。

立川市錬成館 弓道場

錬成館の弓道場

弓道は古来より神事と深く結びついており、弓道場を併設する神社は少なくありません。この弓道場は錬成館の中で最も古い道場で、立川市弓道会をはじめとする市民の弓道団体や愛好家が日々の稽古や大会などに使用しています。

諏訪神社へのアクセス

最寄駅からのアクセス

以下は表参道までの所要時間です。

  • JR中央線・青梅線・南武線 立川駅(南口)より徒歩約15分
  • 多摩都市モノレール 立川南駅より徒歩約15分

車利用:高速道路からのアクセス

中央自動車道「国立府中IC」より約15分

駐車場

立川諏訪神社には、参拝者専用の駐車場が用意されており、参拝を目的とする方のみが利用可能。

  • 料金:無料
  • 駐車台数:約100台(比較的広い)
  • 利用時間:境内の開門・閉門時間(目安:7:00頃~17:00頃)

祭りなどの催事開催時は、大変混雑するか、利用制限がある場合がありますので、事前に神社にご確認ください。

基本情報

【社名】 諏訪神社(すわじんじゃ)
【住所】 東京都立川市柴崎町1-5-15
【電話番号】 042-522-5806
【参拝時間】 終日参拝可能(※開門は7:00頃、閉門は17:00頃)
【授与所・祈祷受付時間】 8:30~16:30(※祈祷は原則として事前予約制、詳細は要確認)
【ご祭神】
・主祭神:建御名方神(たけみなかたのかみ)
・合祀神:誉田別命(ほんだわけのかみ) ※八幡大神
・合祀神:宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) ※稲荷大神
【末社】 疱瘡神社、日吉神社、金刀比羅神社、浅間神社、目の神様
【ご利益】 勝負運・必勝祈願、商売繁盛、開運招福、子授かり・安産、出世開運、学業成就、家内安全など
【公式サイト】 http://suwajinja.or.jp/

この記事のまとめ

千二百年以上の歴史を持つ立川の諏訪神社は、武神・建御名方神を祀る立川の総鎮守です。
拝殿の荘厳な鳳凰の彫刻や、三社が一体となった「三社一殿」の社殿構造は必見です。また、境内の「目の神様」やアマビエ像、そして創建の起源を示す舊宮趾など、多様な信仰と歴史が凝縮されています。地域の熱気が爆発する例大祭(毎年8月下旬)の迫力も必見です。ぜひ、立川の精神的な柱である「おすわさま」に参拝してみてください。